年末の大舞台を前に訪れたアクシデント
昨年12月6日、GⅠ福岡チャンピオンカップ優勝戦。1周1Mで起こったアクシデントは、歓声で包まれるはずだったフィナーレの瞬間を悲鳴に変えた。2コースから捲った篠崎元志が1Mで振り込んだ瞬間、後続艇が追突。目を背けたくなるような事故の瞬間を、篠崎はこう振り返る。
「舟が浮いて"あ~、やばいな"と思った瞬間、背中にものすごい衝撃が走って。意識ははっきりしていたけど、呼吸が全くできなくて。本気で死ぬかも…って思いました」
レース後、救急車で福岡市内の病院に緊急搬送。診断結果は肋骨を6本、背骨を2本骨折する重傷だった。
病院で簡易処置が終わった後、処置室に入ってきた妻と弟・仁志を前に「とりあえずレースを見せてほしい」と頼んだ。
「命があって良かった。それくらいの事故でした。また走れるようになったのは、運が良かったことに尽きます」
2週間後には初めて兄弟での出場が決まっていたSGグランプリが控えていた。
さまざまな葛藤を乗り越えて
強行出場したグランプリはファーストステージで敗退。驚異的な回復力で、レースに出場できるレベルまで回復させたとはいえ、万全とは言えない状態で勝てるほどグランプリの舞台は甘くなかった。それから約1カ月間、篠崎はレース出場を見送り、コンディション調整に努めた。復帰戦は2月の若松一般戦だった。
「体もそうだし、一番大変だったのは出走回数の問題。A1をキープするために90走をクリアしないといけなかったので。復帰してすぐはひどかった。頭の中では分かっているけど、体が動かないからターンにならない。イメージに体が全くついていかないんです」
それでも出走回数を重ねるためにレースを走り続けなければいけなかった。走る以上、ファンは篠崎に高いパフォーマンスを要求する。それに応えられないもどかしさが余計に苦しめた。何度も自分に言い聞かせたのは「我慢」の二文字。
3月児島クラシックで準優進出、翌節の平和島で復帰後初V。気温の上昇とともに、ようやく自身のリズムも上がってきた。
「レースに関してはケガする前の状態と比べてもそん色がない程度、90%くらいは戻ってると思います。もう、心配ないです」
博多で大きいレースを勝ちたい
人気と実力を兼ね備えた選ばれた選手だけに出場権が与えられるレース。それがSGオールスターだ。
この舞台に上がる篠崎に、ファンは周年記念の無念を晴らしてほしい。そう願っているに違いない。
「まずは地元オールスターのドリーム戦に乗せていただいたことに感謝したいです。ただ、周年の時の雪辱というよりも、とにかく博多で大きいレースを勝ちたい。その気持ちが強いです。それに年末のグランプリのことを考えると、焦りもあります。どこかで大仕事をしないと。それが今回の博多だったら最高ですね」
聖書の一節には、こんな言葉がある。「試練は乗り越えられる人にしか与えられない」。大ケガを乗り越え、悲願の地元SG制覇へ。篠崎の視界には一点の曇りもない。