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選手クローズアップ

働く価値を見いだせなかった20代

レーサーにはそれぞれ物語があるが、石倉洋行ほど〝異色な〟レーサーの成り立ちを持つ選手は少ない。選手募集の年齢制限が上がり、特待生制度で他業種からの転身が増えたのが106期生から。107期生の石倉もこの年齢制限の上昇を契機と捉えてボート界の門を30歳でくぐった。 選手を志望したきっかけは〝収入〟。福岡の筑豊地区の進学校である県立嘉穂高を卒業後は、横浜商科大に進学。元々バイク好きだったもこともあって、整備士として某有名バイク専門店に就職した。「バイクをいじることが好きだったんでね。そこでの収入は手取りで30万ぐらい。そう聞くと悪くなさそうに聞こえるかもしれませんが、ほぼ休みがゼロで…。言い方は悪いけど〝ブラック企業〟。20代後半の時は何のために仕事をしているかの意味を全く見いだせませんでした」
しかも、前述したように進学校の出身。周りとの〝差〟も転職を後押しすることに。「嘉穂高は進学校ということもあって、友達は医者とか稼ぐ人ばっかりで。そいつらの収入を聞いたらやっていられなかった」。最初はオートレーサーを目指したが、ちょうどその時期はオートレースが選手募集を停止していた時期(これが原因で谷川祐一らロードレースの有力選手がオートではなくボートに転身)で、ボートレーサーを目指さざるをえなかったという。「ボートのことは何も知らなかった。福岡で働いていた店舗に大野(芳顕)さんや江崎(一雄)君が来ていたけど、レーサーだって全く知りませんでしたからね」

もう後戻りはできない

今でこそ7点レーサーへと成長したが、デビュー当初は鳴かず飛ばず。「養成所でも下手な方でしたからね。ただ、退路を断った(オールドルーキーの)自分に逃げ道はない。常に背水の陣だという気持ちはあの頃も今もずっとあります」。ターンスピードを意識して日々の取り組みを変えると、成績は一変。「いい時と悪い時の差が少なくなった。それに気持ちにも変化が出てきましたね。最初は年間1,000万円ぐらい稼げればいいと思っていたけど、それが達成できたらもっと稼ぎたいという気持ちになって。じゃあ、そのためにはどうすればいいのか。そこを突き詰めていく感じでしたね」
ちなみに、レーサーになって買った一番高い買い物は5,000万円で建てた家。20代には、「考えられなかった」ことができる喜びも今の原動力になっている。「今は年間3,000万円ぐらい稼げているし、社会人時代を思えば本当にレーサーになって大成功でした。30歳から初めてこれなら夢がある。アメリカンドリームじゃないけど、ボートの世界にはジャパニーズドリームがありますね」

オールドルーキーのロールモデルに

もちろん、現状で満足している訳ではない。レーサー人生のモットーは、〝太く短く〟ではなく〝太く長く〟。「30歳で選手になったからといって、早く引退したくない。同期で一番若い近江(翔吾)君よりも後に引退するつもり」。2022年のダービー出場はあと一歩で逃したが、〝お金を稼ぐ〟という選手を志した目標にブレはない。
「実年齢ではなく選手として年数なりの若いレースを心がけたい。最近、老眼になってきてペラ調整が大変なんですけどね(笑)」。通算5,000人を超えた選手の中でも、三十路(みそじ)を越えてデビューした選手は一握り。近年は減りつつあるオールドルーキーのロールモデルになるつもりだ。